ユノ・フェルティアの物語
第二章「はじめての空」
第5話「王都到着、レイスとの再会」
王都アーヴェリアの城門は、想像していたよりもずっと巨大だった。
高さは十メートル以上あるだろうか。厚い石造りの門扉は、普通の町の城壁全体よりも大きい。門の上部には王家の紋章——双頭の鷲が翼を広げた意匠が刻まれていて、金の装飾が夕日を受けて輝いている。
門前には長い列ができていた。商人の荷車、旅人たち、それに馬車。王都に入るためには、全員が衛兵の検査を受けなければならない。
「すごい人ですね」
わたしが呟くと、フィンも頷いた。
「王都には毎日、何百人もの人が出入りするんです。商売のため、仕事のため、それに——僕のような受験生も」
フィンの声に、改めて緊張が混じった。明日から魔術学校の入学試験が始まる。今夜が、準備のための最後の夜だった。
「大丈夫ですよ」ベルクさんがフィンの肩に手を置いた。「今まで十分に勉強してきたじゃないですか」
「……はい」フィンが頷いた。微笑みの下に、硬い決意が見えた。旅の途中、あの練習で何度も失敗して赤くなった手のひらを、フィンはまだ覚えているのだろう。
列が少しずつ進んで、わたしたちの順番が回ってきた。
門番は屈強な男性だったけれど、意外に優しい対応だった。
「お三方とも、王都は初めてですか?」
「はい」わたしとフィンが答えた。
「では、注意事項をお伝えします。王都内では夜間外出に制限があります。日没から日の出まで、大通り以外の通行は控えてください。また、魔術の使用は許可制です。緊急時以外の魔術行使は罰金の対象となります」
門番が一通りの説明をした後、ベルクさんがノルデン家の紋章を見せた。
「ノルデン男爵家のご一行ですね」門番が急に丁寧になった。「お疲れさまでした。どうぞ、お通りください」
門をくぐると、そこは別世界だった。
石畳の大通りが真っ直ぐに伸びていて、その両側には高い建物が立ち並んでいる。三階建て、四階建ての建物がずらりと続いて、一階部分には様々な店が入っている。魔導具店、薬草店、武具店、書店——山の村では見たこともない専門店ばかり。
人も多い。クレスやカルテとは比べものにならない人の数。老若男女、貧富の差も様々な人々が行き交っている。馬車もひっきりなしに通り、車輪が石畳を叩く音が響いている。
「圧倒されますね」フィンが呟いた。
「慣れるまで少し時間がかかるでしょうが、王都には王都の良さがあります」ベルクさんが説明してくれる。「何でも手に入るし、優秀な人材も集まっている。学問にも最適な環境です」
大通りを歩きながら、わたしは王都の空気を肌で感じていた。活気がある。エネルギーに満ちている。でも同時に、どこか緊張感もある。競争の激しい場所なのだろう。
「今夜の宿はどこにしますか?」
「『金鷲亭』という宿を予約してあります」ベルクさんが答えた。「王宮区に近い、格式の高い宿です」
金鷲亭は、確かに格式の高い宿だった。
石造りの立派な建物で、入り口には制服を着たドアマンが立っている。ロビーは大理石の柱と豪華な絨毯で装飾されていて、貴族や富裕な商人らしき人々が談笑している。
部屋も素晴らしかった。個室はもちろん、窓からは王都の夜景が一望できる。ベッドもデスクも高級品で、こんな贅沢は生まれて初めてだった。
「恐縮です」わたしがベルクさんに言った。「こんなに良い部屋を用意していただいて」
「今日までの恩を考えれば当然です」ベルクさんが微笑んだ。「それに、明日からはフィンも試験で忙しくなります。今夜くらいは、ゆっくり休んでください」
夕食も宿のレストランで豪華な料理を食べた。魚の香草焼き、牛肉の赤ワイン煮、それに王都名物だという甘いデザートまで。
食事をしながら、フィンが明日の予定を説明してくれた。
「試験は三日間あります。一日目が筆記試験、二日目が実技試験、三日目が面接です」
「どのくらいの人が受験するんですか?」
「全王国から約三百人が受験して、合格するのは三十人程度です」
「競争率十倍か」ベルクさんが唸った。「厳しいですね」
「でも、僕は大丈夫です」フィンの目に決意の光が宿っていた。「理論は誰にも負けないつもりです。実技は——まだ足りないかもしれない。でも、足りないと分かっているのは強みだと思います」
フィンの手は、テーブルの下で拳を握っていた。その手がまだ少し赤いのを、わたしは知っていた。
食事の後、三人でホテルのラウンジでお茶を飲んでいると、フィンが口を開いた。
「ユノさん、王都で何をされるんですか?」
「まだ決めていないんです」わたしは正直に答えた。「とりあえず、しばらく滞在して色々見て回ろうかと」
「それでしたら」ベルクさんが提案した。「王立図書館に行ってみてはどうですか? 一般にも開放されていて、王国の歴史や魔術の資料が豊富にあります」
「図書館……いいですね」
「それに、冒険者ギルドという組織もあります」フィンが付け加えた。「魔術師や戦士が登録して、依頼を受けて報酬を得る仕事です。ユノさんの実戦経験なら、すぐに登録できると思います」
「冒険者ギルド」
聞いたことはあった。でも、まだ漠然としたイメージしかない。
「明日、フィンの試験が終わったら、一緒に見に行きませんか?」
「ありがとうございます。ぜひ」
そんな風に話していると、ラウンジの入り口の方で小さな騒ぎが起こった。
「すみません、こちらは宿泊者専用ラウンジなのですが——」
「わかってる。友人に会いに来ただけだ」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると——
「レイス?」
わたしは思わず立ち上がった。
ラウンジの入り口に、見知った顔があった。少し背が高くなって、髪も短く切って、服装も立派になっているけれど、間違いない。
山の村での幼なじみ、レイス・ホルツが立っていた。
「ユノ!」
レイスもわたしに気づいて、顔を輝かせた。従業員に会釈して、こちらに歩いてくる。
「本当にユノじゃないか。王都にいるなんて、信じられない」
「レイス……どうしてここに?」
「こっちが聞きたいよ。君こそ、どうして王都にいるんだ?」
レイスがテーブルのそばに来て、フィンとベルクさんを見た。
「あ、紹介します」わたしは慌てて立ち上がった。「フィン・ノルデンさんと、ベルク・ハートマンさん。旅の途中でお世話になったんです」
「フィンです」
「ベルクだ」
二人が挨拶すると、レイスも丁寧に頭を下げた。
「レイス・ホルツです。ユノとは幼なじみで——って、ノルデン? あのノルデン男爵家の?」
「はい」フィンが答えた。
「それは失礼しました」レイスの態度がより丁寧になった。やはり王都では、貴族の名前に重みがあるのだろう。
「レイス、座って」わたしが椅子を勧めた。「久しぶりに会えて嬉しい」
「僕もだよ」レイスが座りながら言った。「でも、本当に驚いた。まさか王都で会えるなんて」
「レイスこそ、どうして王都にいるの? 確か、魔術学校に——」
「合格したよ」レイスが少し誇らしげに言った。「去年の春に入学して、今は一年生だ」
「すごい!」わたしは心から嬉しかった。「おめでとう!」
「ありがとう。でも、大変なんだ。授業は厳しいし、同級生はみんな優秀だし」
「魔術学校の学生さんですか」フィンの目が鋭くなった。好奇心ではない。同じ世界にいる人間を見定めるような目。「実は僕も、明日から入学試験を受けるんです」
「そうなんですか?」レイスがフィンを見た。「それは頑張ってください。でも——」
「でも?」
「正直に言うと、かなり厳しいと思います。今年は特に競争が激しいと聞いているので」
フィンの表情が一瞬こわばった。でも、すぐに静かな笑みに変わった。
「厳しいのは分かっています。でも、厳しいくらいが丁度いい」
その言葉に、レイスが少し驚いた顔をした。わたしには分かった。フィンがあの朝、何度失敗しても「もう一回」と言い続けた時と同じ目をしている。
「努力すれば必ず道は開けます」レイスが言った。「僕も最初は全然ダメでしたから」
「ありがとうございます」
フィンが微笑んだ。不安はあるだろう。でも、不安だけではなかった。
レイスは一時間ほどラウンジにいて、色々な話をしてくれた。
魔術学校での生活、王都の様子、それに山の村のその後のことも。バレン先生は元気で、ルッツも今年中には結婚する予定だという。
「そうそう」レイスが思い出したように言った。「ユノの師匠のことなんだけど——」
わたしの表情が変わったのを見て、レイスは口をつぐんだ。
「……後で、二人の時に話そう」
「ありがとう」
先生のことを、みんなの前で詳しく話すのは辛かった。レイスがそれを察してくれて嬉しかった。
「明日の夜、時間があったら会えないか?」レイスが提案した。「僕の寮の近くに、美味しい店があるんだ」
「はい。ぜひ」
「フィンさんも、試験が終わったら一緒にどうですか?」
「ありがとうございます」フィンが嬉しそうに答えた。「試験の結果はどうなるか分かりませんが——」
「きっと大丈夫ですよ」レイスが励ました。「ユノが一緒に旅をした人なら、必ず何か特別なものを持っているはずです」
その言葉に、フィンの表情が明るくなった。
レイスが帰った後、三人で部屋に戻った。
フィンは明日の試験に備えて最後の復習をしていた。魔術の理論書を読み返したり、術式の練習をしたり。その真剣な姿を見ていると、応援したくなる。
ベルクさんは窓際で王都の夜景を眺めながら、葉巻を吸っていた。
「良い友人ですね」ベルクさんがわたしに言った。
「はい。小さい頃からの親友です」
「魔術学校の学生とは、心強いでしょう。王都での生活について、色々教えてもらえるでしょうから」
確かにそうだった。レイスがいることで、王都での暮らしが少し身近に感じられる。
でも同時に、複雑な気持ちもあった。
レイスは夢を叶えて、魔術学校に入学した。バレン先生も、きっと誇りに思っているだろう。
一方でわたしは——まだ何も決まっていない。師匠もいなくなって、目標も曖昧なまま。
そんな風に考えていると、フィンが声をかけてきた。
「ユノさん、魔術学校のことなんですけど——」
「はい?」
「もし良ければ、一緒に受験してみませんか?」
「え?」
予想外の提案だった。
「ユノさんの実力なら、合格できると思うんです。複合術式も使えるし、実戦経験も豊富だし」
「でも、わたしは——」
「魔術の理論は、入学してから学べます。それより、ユノさんのような実戦感覚を持った人の方が、学校では貴重だと思います」
フィンの言葉に、心が揺れた。
「それに——」フィンが小さく付け加えた。「同じ場所で学べたら、僕ももっと強くなれる気がするんです」
ああ、そういうことか。フィンはわたしを同じ土俵に引っ張り出したいのだ。追いつくために。負けないために。
不快ではなかった。むしろ——少し嬉しかった。
「少し考えてみます」
「はい。無理にとは言いませんが」
その夜、ベッドに横になってからも、フィンの提案のことを考え続けた。
魔術学校に入学すれば、レイスと一緒に学べる。王都での生活にも慣れるだろう。
でも、それが本当にわたしの道なのだろうか。
師匠は何と言うだろう。
『自分で決めろ』——きっと、そう言うだろう。
答えは、まだ出ない。でも、少なくとも選択肢が見えてきた。
それだけでも、大きな前進だった。
翌朝、フィンは早い時間に宿を出て行った。
「試験、頑張って」わたしが見送ると、フィンが振り返って微笑んだ。
「ありがとうございます。ユノさんに教わったことを思い出しながら、精一杯やってきます」
ベルクさんも一緒についていった。護衛として、最後まで責任を果たすつもりなのだろう。
一人になったわたしは、王都の街を歩いてみることにした。
朝の王都は、夜とは違った顔を見せていた。商店が開店の準備をしていて、通りには新鮮な食材や商品が並べられている。働く人たちの活気ある声が響いて、一日の始まりを告げている。
歩いていると、大きな建物が見えてきた。
王立図書館だった。
石造りの荘厳な建物で、正面には「知識は人類の宝なり」という文字が刻まれている。
入り口で受付を済ませて、中に入った。
圧倒された。
天井まで届く巨大な書棚が、どこまでも続いている。何万冊、いや何十万冊もの本が収められているだろう。魔術書、歴史書、地理書、哲学書——あらゆる分野の知識が集まっている。
魔術に関する本を探して、いくつか手に取ってみた。師匠から教わったこととは違った視点で書かれたものもあって、新鮮だった。
一日中でも読んでいられそうだったけれど、お昼頃に図書館を出た。
次に向かったのは、冒険者ギルドだった。
冒険者ギルドは、王都の商業区にあった。
大きな建物で、入り口には「冒険者ギルド・アーヴェリア支部」という看板が掲げられている。中に入ると、様々な装備を身に着けた人たちがたくさんいた。
受付で説明を聞くと、冒険者として登録すれば様々な依頼を受けることができるという。魔物退治、護衛、調査、配達——内容は多岐にわたる。
「魔術が使えて、実戦経験もあるのでしたら、すぐに登録できますよ」受付の女性が説明してくれた。「ただし、最初は見習いランクからのスタートになります」
「見習いランク?」
「冒険者にはランクがあるんです。見習い、初級、中級、上級、そして最高位のSランク。依頼を成功させることで、ランクが上がっていきます」
興味深いシステムだった。自分の実力に応じて、少しずつ難しい仕事に挑戦していける。
ただ、今日は登録せずに帰ることにした。まだ心の準備ができていない。
宿に戻ると、ベルクさんが一人でラウンジにいた。
「お疲れさまです。フィンさんは?」
「まだ試験中です。筆記試験は夕方までの予定なので」
「大変ですね」
「ええ。でも、あの子なら大丈夫でしょう」
ベルクさんが紅茶を注文してくれた。
「今日はどちらに?」
「王立図書館と冒険者ギルドに行ってきました」
「なるほど。どうでしたか?」
「どちらも興味深かったです。でも、まだ決められません」
「焦る必要はありませんよ」ベルクさんが優しく言った。「人生の選択は、じっくり考えてするものです」
夕方になって、フィンが戻ってきた。疲れた表情だったけれど、手応えはあったようだった。
「どうでした?」
「思ったより難しかったです。でも、何とか最後まで解けました」
ホッとした表情を浮かべた後、フィンがこちらを見た。
「ユノさん、昨日の話なんですけど——」
「魔術学校のことですね」
「はい。もし受験される気があるなら、明日の朝までに申し込めば間に合います。特別枠というのがあって——」
「特別枠?」
「実戦経験のある志願者のための枠です。人数は少ないですが、毎年数名が合格しています」
また心が揺れた。
「——来てほしいんです」
フィンの声が、さっきより低くなっていた。
「正直に言うと、ユノさんのことがずっと悔しかった。同い年なのに、僕には何もできないことを当たり前にやってのける人がいる。でも——その人が同じ場所にいてくれたら、僕はもっと頑張れると思う」
真っ直ぐな目だった。見栄も遠慮もない、むき出しの本音。
「……もう少し考えさせてください」
「はい。もちろんです」
その夜、レイスとの約束通り、夜遅くに彼の案内で王都の食堂に行った。
レイスが連れて行ってくれたのは、学生街にある小さな食堂だった。庶民的な雰囲気だけれど、料理は美味しくて値段も手頃。
「魔術学校の学生がよく来る店なんだ」レイスが説明した。「味もいいし、懐に優しい」
二人で簡単な夕食を食べながら、ゆっくり話をした。
まず、レイスが山の村のその後を詳しく教えてくれた。バレン先生は相変わらず村人たちの治療に励んでいて、ルッツは隣村の女性と結婚することになったという。
「みんな、ユノのことを心配してるよ」レイスが言った。「突然いなくなったから」
「ごめん。でも、あの時は——」
「いいんだ。理由があったんだろう?」
わたしは師匠のことを話した。詳しくは話せなかったけれど、師匠がいなくなったこと、一人で王都を目指したこと。
「そうだったのか」レイスが深くうなずいた。「それは辛かったね」
「うん。でも、今は大丈夫」
「本当に?」
「……まだ迷ってることもあるけど、前には進めてる」
レイスがわたしの目をじっと見た。
「ユノ、魔術学校のこと考えてるだろう?」
「え?」
「フィンさんから聞いたんだ。特別枠で受験できるって」
やはりバレてしまった。
「どうしよう、レイス。わたし、まだ何も決められないの」
「決めなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「人生って、決めることばかりじゃない。時には流れに任せることも大事だよ」
レイスの言葉が、心に響いた。
「でも——」
「受験してみたらどうだ? 合格しても入学しなくてもいい。まずは自分の実力を試してみることから始めても」
なるほど、それも一つの方法だ。
「考えてみる」
「うん。でも、どんな決断をしても、僕は応援するよ」
その言葉が、とても嬉しかった。
宿に戻ったのは夜遅くだった。
部屋で一人になって、窓から王都の夜景を眺めた。
無数の明かりが煌めいている。それぞれの明かりの下に、人々の生活がある。みんな、自分なりの人生を歩んでいる。
わたしも、自分なりの道を見つけなければ。
師匠がいてくれたら、何と言うだろう。
『お前の人生だ。お前が決めろ』
きっと、そう言うだろう。
そして——『どんな道を選んでも、わしはお前を誇りに思う』と。
朝になった。
フィンは二日目の実技試験に向けて出かけた。今日は魔術の実演があるという。
わたしは——
決めた。
王立魔術学校の受付に向かった。
「特別枠での受験を希望します」
人生の新しい扉が、開こうとしていた。
第5話 了