ユノ・フェルティアの物語

第六章「見えないもの」

第4話「赤い空」


 夢を見た。

 赤い空。

 地平線の端から端まで、空が赤く燃えている。雲が赤い。光が赤い。空気が赤い。

 足元に誰かがいる。暖かい腕がわたしを抱いている。でも——その腕が、少しずつ冷たくなっていく。

 声が聞こえる。遠い。聞き取れない。でも——何か大事なことを、言っている。

 腕の温もりが消える。冷たい。

 空が赤い。


 目が覚めた。

 暗い寮の部屋。隣のベッドでミレーヌが眠っている。静かな呼吸。窓の外は暗い。まだ夜中だ。

 心臓がどくどく鳴っていた。額に汗がにじんでいる。

 赤い空の夢。

 谷にいた頃は、よく見ていた。先生に話したら、「怖い夢を見たのか」と聞かれて、「怖いというか——悲しい」と答えた。先生は何も言わなかった。ただ頭を撫でてくれた。

 王都に来てから、この夢は減っていた。学校と街の忙しさに追われて、眠りが深くなったからかもしれない。でも消えてはいなかった。ただ——しばらく来なかっただけ。

 今夜、久しぶりに来た。


 天井を見つめた。

 この夢が何なのか、分かっている。分かっていないふりをしているだけだ。

 六つの時。帝国の侵攻で村が焼かれた時。両親を失った時。

 記憶はほとんどない。覚えているのは——赤い空と、冷たくなっていく腕と、聞き取れない声だけ。

 先生は「お前を焼け跡の中で見つけた。泣いていなかった。ただ座っていた」と言った。その時のことは、わたし自身の記憶にはない。ただ夢の中で、断片だけが繰り返される。

 赤い空。

 村が燃えていた。

 誰かがわたしを抱いていた。その腕が冷たくなった。

 それだけ。


 眠れなくなった。

 ベッドの上に座って、膝を抱えた。

 怖くはない。もう八年以上、見ている夢だ。慣れたとは言わないけど、泣かなくなった。ただ——胸の奥が冷たくなる。あの夢を見た後は、いつもそうだ。

 窓の外を見た。星が見えた。雲が少しかかっているけど、隙間から星が光っている。

 谷では、この時間に目が覚めると、先生が起きていることがあった。炉端で本を読んでいた。わたしが来ると「眠れないのか」と聞いて、温かいお茶を入れてくれた。何も聞かない。ただお茶を渡して、隣に座っていてくれる。

 今は先生がいない。

 でも——隣のベッドにミレーヌがいる。壁の向こうに他の生徒がいる。図書室にはフィンがいる。街にはゲルトやマルタやハンスがいる。

 一人じゃない。

 でも今はまだ夜中で、みんな眠っていて、わたしだけが起きている。


 朝になった。

 ミレーヌが起きた時、わたしはもうベッドの上に座っていた。

「あなた、顔色悪いわよ」

「夢を見て、あまり眠れなかった」

「……怖い夢?」

「怖いというか——古い夢。昔からたまに見るやつ」

 ミレーヌは何も聞かなかった。ただ、朝の支度を始めた。わたしも支度を始めた。


 放課後。一人で訓練場に行った。

 フィンには「今日は一人で練習したい」と言った。フィンは「分かりました」と言った。こういう時のフィンの引き際は、いつも的確だ。

 訓練場の隅で、障壁の練習をした。

 一枚目。薄い膜。マナを集中させて、壁を作る。

 フィンの理論を反芻した。「マナの密度は面積に反比例する」。先生の言葉を重ねた。「守る場所を絞れ」。

 二枚目。一枚目の外側に。

 「十枚の紙を重ねろ」。先生の声。

 三枚目。

 四枚目——今度は崩れなかった。四枚が同時に浮いている。薄いけれど、確かに四層の壁。

 五枚目に挑戦した。マナが足りない。指先がしびれる。でも——もう少し。

 五枚目が、一瞬だけ形になった。

 崩れた。全部崩れた。膝に手をついて、息を荒くした。

 でも五枚。一瞬だけ五枚。

 先生が生きていた頃は、一枚すら張れなかった。旅の途中で一枚が安定した。入学した頃に二枚。フィンに理論を教わって三枚。四枚。そして今、五枚。

 少しずつ。確実に。

 ——先生、五枚まで来ました。「十枚の紙」の半分です。


 訓練場のベンチに座って、水を飲んだ。

 空が暗くなりかけていた。夕暮れの紫色。星はまだ見えない。

 赤い空の夢のことを考えた。

 あの夢は、わたしの過去だ。六つの時に失ったもの。家族と、村と、普通の子供の暮らし。

 先生がわたしを拾ってくれなかったら、どうなっていたか分からない。外縁部の子供たちみたいに、王都の片隅で暮らしていたかもしれない。もっとひどい場所にいたかもしれない。

 先生がいたから、今のわたしがいる。

 感知能力も。カーラの弟子というレッテルも。この夢も。全部含めて、わたしだ。

 「普通じゃない」と言われる。感知能力も、カーラの弟子であることも、戦争孤児であることも。全部「普通じゃない」。

 でも——先生も「普通」じゃなかった。宮廷最強で、先王の友で、谷に一人で暮らした変わった人。「普通」からは遠い人だった。

 先生が「普通」じゃなくて、わたしも「普通」じゃない。

 それでいい。先生がそうだったように、わたしもそうでいい。


 寮に戻った。

 ミレーヌが教科書を読んでいた。わたしが入ると顔を上げた。

「顔色、少し良くなったわね」

「練習してきた。障壁」

「それで元気になるの?」

「うん。身体を動かすと、頭の中がすっきりする」

「……先生に教わった考え方?」

「かもしれない。先生は『考えるな、身体が動け』って言ってた」

「面白い先生ね」

「面白い先生だったよ」

 ベッドに座った。

 ミレーヌが言った。

「来週の休み、パン屋行くからね。忘れてないわよ」

「忘れてない。楽しみにしてる」

「……わたしは別に楽しみにしてるわけじゃないけど。約束は約束だから」

「うん。約束」


 夜。ベッドに入った。

 今夜はもう、赤い空の夢は見ないだろう。一度見た後はしばらく来ない。それが、今までのパターンだ。

 ——先生、今日は赤い空の夢を見ました。久しぶりでした。

 ——怖くはなかったです。もう慣れました。でも胸の奥が冷たくなるのは、いつまでも慣れません。あれはきっと——あの日のことなんだと思います。村が燃えた日の。

 ——先生はわたしを焼け跡の中で見つけてくれました。泣いていなかったって言ってましたよね。ただ座っていたって。

 ——今もわたし、泣いてないです。泣かないって決めたわけじゃないけど、泣く代わりに障壁を張ってました。五枚まで行けました。

 ——感知能力も、この夢も、カーラの弟子であることも、全部わたしです。普通じゃないかもしれないけど、先生も普通じゃなかったから。まあいいかなって。

 ——おやすみなさい、先生。

 目を閉じた。

 今度は、夢を見なかった。


第4話 了