第2話「十の将を解く」


即位から一年。

白銀宮殿の大広間に、帝国を支えてきた十人の将軍のうち八人が揃った。残る二人のうち一人は病床にあり、もう一人はアーヴェリアからの撤退指揮を理由に到着が遅れていた。

馬蹄形に配置された長卓。その開口部の正面に、皇帝の席がある。

将軍たちが着席し、互いの表情を窺っていた。緊張はあったが、まだ余裕があった。この一年、イルバは将軍たちと個別には会ったものの、全員を集めた場は設けなかった。今日の召集の目的を、彼らはまだ知らない。

だが、予想はしている。おそらく軍の再編に関する相談だろう。アーヴェリア撤退後の配置転換、あるいは一部の軍団の統合。そういった「調整」の話になるはずだ。自分たちの立場が大きく揺らぐようなことは、さすがにない――。

そう考えていた。

扉が開いた。

イルバが入った瞬間、広間の空気が変わった。

物理的な変化ではない。温度が下がったわけでも、風が吹いたわけでもない。だが将軍たちの全員が、同時に背筋を伸ばした。無意識の反応だった。

イルバは一年前に比べて、目の下のくまがむしろ薄くなっていた。激務に慣れたのではなく、激務が彼の本来の速度だったのだ。黒い長衣を纏い、悠然と歩く姿には、三十代半ばとは思えない威圧がある。武人としての圧ではない。あれは、自分がこの場で最も正しい判断を下せるという確信から生じる圧だ。

玉座に座った。

将軍たちを見渡した。一人ずつ、視線を合わせた。ゆっくりと。

見られている側が、先に目を逸らした。歴戦の将軍が、三十代の若い皇帝の視線に耐えられない。それ自体が、この一年でイルバが築いた力の証明だった。

「十将制を廃止する」

第一声がそれだった。

前置きも経緯の説明もない。結論だけが、岩を落とすように広間に投げ込まれた。

数秒の沈黙。

筆頭格の将軍が、椅子の肘掛けを握った。白髪の巨躯。三十年以上の軍歴を持つ帝国随一の武人だった。その男が、声を絞り出すようにして言った。

「……陛下。それは、ご再考いただけませんか」

再考。抗議ではなく、嘆願だった。一年前なら「正気か」と怒鳴っていただろう。だが今、この男はイルバの前で声を荒げることができなかった。

「十将制は帝国の礎です。三百年にわたってこの国の軍事を支えてきました」

「三百年の礎が、アーヴェリアで何を支えた」

イルバの声は穏やかだった。穏やかなまま、急所を突いた。

広間の空気が凍った。

アーヴェリア侵攻。十将制が総力を挙げて臨み、失敗した戦。四将が派兵され、膨大な戦費が投じられ、帝国の威信を賭けた遠征は膠着に終わった。将軍たちの誰もが、その事実に触れられることを恐れていた。

イルバは続けた。視線を筆頭の将軍に据えたまま。

「四将がアーヴェリアに展開しながら、互いの連携は最小限だった。兵站は各軍団が個別に管理し、重複と無駄が膨れ上がった。統一的な戦略は存在しなかった。なぜか。十将が独立しているからだ。各自が自分の軍団の利益を優先し、全体を見る者がいなかった」

反論できる将軍はいなかった。事実だからだ。

だがイルバの真の恐ろしさは、事実の指摘にはなかった。

「帝国の歳入の四割が軍事費に消えている」

数字を出した。声は変わらず穏やかだ。

「そのうち三割は、軍団間の重複による無駄だ。兵站の二重管理、装備調達の競合、訓練施設の乱立。十将が十の軍団を持つということは、十の無駄を持つということだ」

将軍たちの顔色が変わり始めた。感情では反論できる。だが数字には数字で返すしかない。そして彼らは、自分たちの軍団の財務を正確に把握していない。イルバに把握されている、という事実が恐ろしかった。

筆頭の将軍が立ち上がった。

「軍を縮小するということは、帝国の防衛を放棄するということです。周辺国が我が帝国の弱体化を見て動かないとお思いですか」

立ち上がった。それが、この将軍にできる最大の抵抗だった。

イルバは座ったまま、見上げもしなかった。

「帝国が滅ぶとすれば、隣国の侵攻ではない」

間を置いた。将軍たちの全員が、次の言葉を待っている。

「足元の腐食によってだ」

足元。それが何を指すか、将軍たちの多くは分からなかった。だがイルバの声の質が変わったことには気づいた。穏やかさの奥に、初めて熱が覗いた。

「中央山脈の魔障域だ。あれは辺境の問題ではない。年間の拡大率を計算すれば、十年以内に帝国北部の穀倉地帯に到達する。軍で魔障域は斬れない。だが軍に費やしている資源があれば、対策はできる」

イルバはそこで初めて、立ち上がった。

その動作だけで、広間の全員が息を呑んだ。座っていた時すでに圧倒的だったものが、立ち上がることで空間を支配した。

「私は帝国の未来について話している」

将軍たちを見渡した。一人ずつ。

「あなた方の過去を否定しているのではない。だが過去の延長線上に未来はない」

筆頭の将軍は、まだ立っていた。だが拳の力が抜けていくのが、傍目にも分かった。

この一年で、イルバが何をしてきたか。将軍たちの部下――副官、参謀、兵站責任者――の多くと、個別に面談を重ねていた。彼らの不満を聞き、能力を評価し、新体制での処遇を示唆した。十将の「軍団」は将軍個人のものではなく、そこに属する数千の将兵のものだ。将兵がすでに皇帝を向いている。将軍は旗を持っているだけで、旗の下に立つ者はもういない。

筆頭の将軍は気づいた。気づいた上で、逆らう手段がないことも悟った。

イルバは声の調子を変えた。鋭さが消え、代わりに深みが入った。

「十将には名誉元帥の称号と、終身の領地年金を保障する。帝国はあなた方の軍歴を忘れない」

飴ではない。これは格の話だ。イルバはこの男たちを、将軍の椅子から下ろすのではなく、将軍よりも上の場所に据えようとしている。実権を失う代わりに、名誉を得る。抵抗する理由を潰し、受け入れる理由を与えている。しかもそれを、情けではなく「帝国の正当な評価」として提示する。

筆頭の将軍は、長い沈黙の後、ゆっくりと座った。

一人が座れば、他は追随するしかない。筆頭が折れた以上、他の将軍に抵抗の旗を立てる度胸はなかった。

それが、事実上の決着だった。


御前会議の後、イルバは執務室に戻った。

机の上には、すでに次の書類が積まれている。軍団解散の具体的な手順書、将兵の再配置計画、名誉退役の条件一覧。すべて事前に準備させていたものだ。

今日の会議は、決定を告げる場であって、議論する場ではなかった。議論はこの一年間、個別の面談と根回しの中で終わっている。あの大広間で起きたのは、結論の確認に過ぎない。

イルバは書類に目を通しながら、次の手を考えていた。

軍務卿の人選はすでに決めてある。帝国東部辺境で行政官を務めている男だ。物資管理と組織運営に関しては、帝国で最も信頼に足る人間だと判断している。軍歴はない。武勲もない。だが帳簿を読め、組織を回せる。イルバが求めているのは英雄ではなく管理者だ。

そして宰相。

イルバの脳裏に、一人の女性が浮かんだ。外交官として属州を回り、各地の実情を誰よりも正確に把握している人物。温和な笑顔の裏に、冷徹な政治的計算力を秘めた女。

セレシア・ティモテ・ヴァイス。

十将を解いた。軍務卿を据える。次は行政の改革だ。属州を帝都の下に統合し、税制を一本化し、資源の配分を根本から見直す。

この帝国は、まだ動かし足りない。

イルバは次の書類に手を伸ばした。