才能の形


二年目の秋に、それは起きた。

魔術工学の実習課題。「故障した魔道具を修繕し、正常に動作させよ」。教官が配ったのは、一人に一つずつの壊れた魔術灯だった。

魔術灯は日常で最も広く使われる魔道具の一つだ。内部にマナを蓄え、術式によって光に変換する。構造は単純で、魔術工学を学ぶ学生にとっては基礎中の基礎にあたる。

「制限時間は二刻。修繕に成功した者は提出してください。なお、故障の原因は一つとは限りません」

教官の言葉に、何人かの学生が顔をしかめた。故障原因が複数あるということは、一つ直しただけでは動かない可能性がある。

ルーカスは手元の魔術灯を持ち上げ、外殻を観察した。

球状の硝子に銀の枠。枠には術式が刻まれている。見た目には傷や破損はない。振ってみても異音はしない。

次に、マナを流してみる。貸与品の短杖を介して、微量のマナを魔術灯に通す。

反応がない。

術式が完全に死んでいるわけではなかった。マナを流した瞬間、内部で微かな応答がある。だが光には至らない。途中で流れが止まっている。

ルーカスは魔術灯を裏返し、枠に刻まれた術式を一つずつ読み始めた。

起動術式。マナの受容部。変換式。出力部。流路は四段構成。教科書通りの基本設計だ。

一段目。起動術式は正常。

二段目。マナの受容部。ここも問題ない。マナは受け取っている。

三段目。変換式。ここだ。マナを光に変換する式の一部が欠損している。刻印が摩耗したのか、一文字分の魔術文字が読み取れなくなっている。

これが第一の故障。文字を補完すれば直る。

だが教官は「原因は一つとは限らない」と言った。

ルーカスは修繕に取りかからず、さらに四段目を確認した。出力部。光を外に放出する最終段階。

ここで違和感を覚えた。

術式自体は正しい。文字の欠損もない。だが、三段目の変換式と四段目の出力部の間の流路――マナが通る道筋の設計に、微妙なずれがある。

三段目が生成するマナの光特性と、四段目が受け取ることを想定している光特性が、わずかに噛み合っていない。

これは摩耗や欠損ではない。そもそもの設計に問題がある。

ルーカスは目を見開いた。

これは「壊れた」のではない。「最初から完全には動かない設計」だ。三段目の欠損を直しても、この流路のずれがある限り、魔術灯は不安定な動作しかしない。点いたり消えたりを繰り返す、使い物にならない状態になる。

教官が仕込んだ罠だ。

ルーカスは周囲を見回した。他の学生たちは、三段目の欠損を見つけて修繕に取りかかっている。文字を補完し、マナを流し、光が点く。だが案の定、光は不安定に明滅している。

「あれ、直したはずなのに……」

「なんだこれ、安定しないぞ」

困惑の声が上がる。

ルーカスは手元の魔術灯に向き直った。

まず三段目の欠損を補完する。次に、三段目と四段目の間の流路を再設計する。四段目の受容特性に合わせて、三段目の変換式の出力を微調整する。

これは教科書に載っていない作業だった。流路の設計変更は、術式全体のバランスに影響する。下手をすればマナの逆流を起こし、魔術灯そのものが壊れる。

だがルーカスには、流路の中をマナがどう流れるかが「見える」感覚があった。目に見えるわけではない。マナを流した時の手応え、術式の構造から推測される流れの方向と速度。それらを頭の中で組み立てると、どこをどう変えれば全体が整合するかが、自然とわかる。

母の調合と同じだ。薬草の性質を知り、組み合わせの効果を予測し、分量を調整する。理屈は同じで、扱う対象が違うだけ。

短杖を使い、流路の刻印を慎重に修正する。一画ずつ、丁寧に。

修正を終え、マナを流す。

魔術灯が、安定した光を放った。明滅はない。穏やかで、均一な、白い光。

「……よし」

小さく呟いて、教官のもとに提出しに行った。


「ヴィール君。少し残ってください」

講義の後、教官に呼び止められた。

教室に残ったのはルーカスだけだった。教官は机の上にルーカスの修繕した魔術灯を置き、じっと見つめていた。

「三段目の欠損は、全員が見つけました。だが四段目との流路のずれに気づいたのは、君だけだ」

「……たまたまです。四段目まで確認しただけで」

「たまたま確認する学生は少ない。第一の故障を見つけた時点で、ほとんどの人間はそこで満足する。君は満足しなかった。なぜですか」

ルーカスは少し考えた。

「教官が、原因は一つとは限らないと言ったからです。それに、三段目を直しただけでは全体のバランスが取れないような気がしたので」

「気がした。感覚ですか」

「はい。うまく説明できないんですが、マナの流れ方を想像すると、三段目と四段目の間に引っかかるものがあるように感じたんです」

教官はしばらく黙っていた。それから、少しだけ表情を和らげた。

「それは、魔術工学において最も重要な資質です。術式を個々のパーツとしてではなく、全体の流れとして捉える感覚。教えて身につくものではありません」

ルーカスは言葉の意味を咀嚼した。

「君は来年、応用課程への進級を考えたほうがいい。推薦は私から出します」

「あ、ありがとうございます」

教官は頷き、それ以上は何も言わなかった。ルーカスは礼をして教室を出た。


廊下に出ると、フィリスが壁に寄りかかって待っていた。

「遅かったな。何か言われたのか」

「応用課程への推薦を出してくれるって」

フィリスが口笛を吹いた。

「やるじゃないか。二年目で応用課程の推薦なんて、なかなかないぞ」

「そうなのか?」

「普通は三年目だ。お前、自分がどれだけのことをやったかわかってないだろ」

ルーカスは首を傾げた。正直なところ、自分がやったことの何がそこまで特別なのか、実感がない。流路のずれに気づいて直した。それだけのことだ。

「あのな」

フィリスが壁から背を離し、ルーカスの正面に立った。

「お前の力は、すごいんだよ。戦う魔術じゃない。でも、お前が直した魔術灯は、誰のよりも安定して光ってた。あれは才能だ」

「才能、か」

「ああ。お前にしかできないことだ。それを、もっとちゃんと使うべきだと思う」

フィリスの目は真剣だった。いつもの気安い笑みではなく、何かを見定めるような目。

ルーカスはその視線を受け止めながら、胸の中にわずかな引っかかりを感じた。

嬉しかった。自分の力を認めてもらえることは、素直に嬉しい。

だが同時に、フィリスの口から出た「使うべきだ」という言葉が、小さな棘のように引っかかる。

使う。何に。誰のために。

フィリスは「使い道」を考える人間だ。人の才能を見抜き、それが何に活かせるかを瞬時に判断する。それは能力だ。優れた能力だ。だがその目は、時として道具を品定めする目に似ている。

フィリスに悪意はない。それはわかっている。この男は本気でルーカスの力を評価しているし、友人として接していることにも嘘はない。

ただ、この男の中では「友人であること」と「才能を見定めること」が矛盾なく同居している。それが野心家の本質なのだと、ルーカスはこの時まだはっきりとは理解していなかった。

「……ありがとう。でも、僕はまだ、何に使うかは決められてないんだ」

「急がなくていい。でも、いつか決める時が来たら、俺に言えよ」

「なんで」

「力の使い道を一緒に考える。それが友達ってもんだろ」

さらりと言ってのける。ルーカスは苦笑した。

「……フィリスは、自分の力の使い道はもう決まってるのか」

「決まってる」

即答だった。

「東部を変える。そのために、ここで学べることは全部学ぶ。人脈も、知識も、手段も。使えるものは全部使う」

「全部使う、か」

「ああ。お前も含めてな」

冗談めかした言い方だったが、目は笑っていなかった。

ルーカスは何も言わなかった。

二人で廊下を歩き、食堂に向かう。夕食の時間だ。いつもの席に座り、いつもの安い定食を食べる。

フィリスはすぐにいつもの調子に戻り、上級生の模擬戦の話やら食堂の新しいメニューやら、どうでもいい話を楽しそうにしていた。

ルーカスは相槌を打ちながら、頭の片隅で考えていた。

才能の形。自分の力が何に向いているのかは、少しだけ見えてきた。魔術工学。術式を全体として捉え、流れを整え、安定させる力。

だが、それを何のために使うのかは、まだわからない。

フィリスは「一緒に考える」と言った。「お前も含めて使う」と言った。それが友情なのか打算なのか。たぶん両方で、フィリスの中ではその二つが自然に繋がっている。

それを不快だとは思わなかった。

ただ、自分はまだ、誰かに「使われる」ことを選ぶ準備ができていない。それだけだった。


寮に戻り、寝台に横になる。

ブローチを取り出す。母の手製。薄緑の石。

今日、教官に言われたこと。フィリスに言われたこと。

才能がある。使うべきだ。一緒に考えよう。

母の声が蘇る。

「魔術は道具だよ。何に使うかは、自分で決めなさい」

自分で決める。

まだ決められない。でも、少なくとも「何ができるか」は見え始めた。それだけでも、この学校に来た意味はあったのかもしれない。

ブローチを胸元に置き、目を閉じる。

窓の外から、王都の鐘の音が遠くに聞こえた。