祭りの夜


秋の王都は、色づいた街路樹で華やぐ。

収穫祭の日、王都魔術学校は休講になる。三日間の祭りの間、王都は普段と違う顔を見せた。大通りには屋台が並び、広場には楽師が立ち、石畳の上を人々が行き交う。魔術灯がいつもより多く灯され、夕暮れの街は橙と金の光に包まれる。

「行くぞ、ルーカス」

フィリスが寮の部屋に押しかけてきたのは、祭りの初日の昼過ぎだった。

「行くって、どこに」

「祭りに決まってるだろ。お前、まさか部屋で教科書読んでるつもりじゃないだろうな」

「応用課程の予習が――」

「今日やらなくても死なない。行くぞ」

有無を言わさず腕を引かれ、寮を出た。


王都の収穫祭は、ルーカスにとって初めての経験だった。

エルデ村にも収穫祭はあった。村人が広場に集まり、焼いた肉と麦酒を囲んで歌う、素朴な祝いだった。それはそれで好きだった。

王都の祭りは、規模が違う。

大通りの両側に屋台がひしめき合っている。焼き菓子、香辛料の効いた肉串、果実の蜜漬け、温めた葡萄酒。匂いだけで腹が鳴る。

「まずは腹ごしらえだ」

フィリスが肉串を二本買い、一本をルーカスに押しつけた。歩きながら齧る。脂が多くて、村で食べる鹿肉とは全く違う味だった。

「うまいだろ」

「……うん。脂っこいけど」

「東部の人間は素朴だからな。王都の味は最初はきつい」

フィリスが笑う。この男は王都の空気にも自然と馴染んでいる。子爵家の嫡男だから当然かもしれないが、辺境育ちのはずなのに不思議と都会慣れしている。

広場に出ると、人だかりができていた。魔術師が余興を見せている。炎で鳥の形を作り、空に飛ばす。群衆が歓声を上げる。

ルーカスはふと、メアの炎の鳥の話を思い出した。以前、学校の図書室で読んだ魔術雑誌に、王都で活動する炎の使い魔を操る魔術師の記事が載っていた。同じ術なのだろうか。

「見世物の魔術師か。器用なもんだな」

フィリスは興味なさそうに一瞥して通り過ぎる。

「お前はああいうの、できるのか」

「炎の魔術は専門外だよ。それに、見世物をやるつもりもない」

「だろうな。お前は裏方向きだ」

裏方。言い得て妙だと思った。


魔道具の露店を見つけたのは、祭りの雑踏を抜けた先の裏通りだった。

表通りの華やかな屋台とは違い、こちらは地味な店が多い。古道具屋、古書店、それに魔道具の修繕を請け負う小さな工房。

「こっちのほうが面白いだろ」

フィリスがルーカスの性格を見透かしたように言う。実際、その通りだった。

露店の一つに、使い古された魔道具が並んでいた。壊れた魔術灯、罅の入ったマナ結晶、機能しなくなった術式盤。どれも捨て値で売られている。

ルーカスは一つの術式盤を手に取った。手のひらに収まる円盤で、表面に細かな魔術文字が刻まれている。方位を示す魔道具のようだが、針が動かない。

「いくらですか」

「それか? 壊れてるぞ。銅貨三枚でいい」

安い。ルーカスは銅貨を払い、術式盤を懐にしまった。

「何に使うんだ」

「わからない。でも、中の術式が面白そうだから」

フィリスが呆れたような、だが少し楽しそうな顔をした。

「お前らしいな」


日が暮れた。

二人は裏通りの安い酒場に入った。学生の懐にも優しい店で、木の卓と木の椅子、壁に掛かった古い地図。客は職人風の男たちが多い。

フィリスが麦酒を二つ頼んだ。ルーカスは酒に強くないが、祭りの日くらいは付き合う。

一杯目を半分ほど飲んだところで、フィリスが窓の外を見ながら言った。

「なあ、ルーカス。お前は卒業したらどうする」

「まだ一年半もある」

「あっという間だよ。この前入学したばかりだと思ってたのに、もう二年目の秋だ」

ルーカスは杯を置いた。卒業後のこと。考えていないわけではない。だが、具体的な形にはなっていない。

「魔術工学の応用課程を修了すれば、王都の工房には就職できると思う。魔術院の研究助手も、成績次第では」

「王都に残るのか」

「選択肢としては。でも、まだ決めてない」

フィリスは頷いて、麦酒を一口飲んだ。

「俺は帰る」

「東部に?」

「ああ。卒業したら領地に戻る。家督を継ぐ準備をして、レーヴェルを変える。東部を変える」

ルーカスは黙って聞いていた。フィリスがこの話をする時、声のトーンが変わる。普段の気安さが消え、芯だけが残る。

「この国はな、ルーカス。真ん中が腐ってるんだ」

フィリスは杯を卓に置き、両手を組んだ。

「王家は弱い。悪い人間じゃないだろうが、貴族を抑える力がない。カドレイユは自分たちの利権を守ることしか考えていない。魔術院は貴族の権力争いの場になってる。誰も、この国がどうあるべきかを考えていない」

「……フィリスは考えてるのか」

「考えてる。ずっと考えてる」

フィリスの目が、燭台の炎を映して光った。

「東部には資源がある。森林も鉱石も薬草も、中央や南部にはないものが揃ってる。だが、それを活かす仕組みがない。魔術師が足りない。道具が足りない。技術が足りない。中央はそれを知ってるくせに、支援もしない。自分たちで賄えと言わんばかりだ」

「だから、自分でやると」

「ああ。まず領地を豊かにする。東部の小貴族をまとめて、一つの勢力にする。中央に物を言えるだけの力をつける。そうすれば、この国のあり方を変えられる」

ルーカスは麦酒の泡が消えていくのを見つめていた。

フィリスの言葉には、力がある。現状を分析し、問題を特定し、解決の道筋を描く。論理的で、具体的で、何より本気だ。

だが同時に、その道がどれほど険しいか、ルーカスにはわかる。小貴族の一領主が国を変える。それは学生の理想論ではないのか。

言おうとして、やめた。フィリスの目を見たからだ。

この男の目は、理想を語る夢想家の目ではなかった。やると決めた人間の目だ。できるかどうかではなく、やるかやらないかの二択しかない。そういう目をしていた。

「……すごいな」

素直に出た言葉だった。

「何が」

「そこまではっきり、自分のやることが見えてるのが。僕には、そういうものがないから」

フィリスは少し驚いた顔をした。それから、表情を緩めた。

「お前にはお前の形がある。焦るなよ」

「焦ってない。ただ、眩しいなって」

「眩しい?」

「フィリスを見てると、火が見えるんだ。燃えてるものが。僕にはあれがない」

フィリスは黙って麦酒を飲んだ。しばらくして、静かに言った。

「火なんて大層なもんじゃない。怒ってるだけだよ」

「怒り?」

「ああ。東部が蔑ろにされてること。うちの親父が何度頭を下げても変わらなかったこと。才能のあるやつが、生まれた場所のせいで埋もれていくこと。そういう、くだらないことへの怒りだ」

フィリスの声はいつになく低かった。

「俺は別に、英雄になりたいわけじゃない。立派な理念があるわけでもない。ただ、このまま黙って見てるのが我慢できないだけだ」

ルーカスは何も言えなかった。

フィリスの「火」の正体が、ようやくわかった気がした。高い志とか、壮大な理想とか、そういう綺麗なものではない。もっと泥臭い、生々しい怒り。自分が見てきた不公正への、煮えたぎるような怒り。

それを「野心」という形に変えて、前に進んでいる。

ルーカスには、その怒りが共有できなかった。東部の出身ではあるが、エルデ村は政治の圏外にあった。不公正を感じたことがない。感じる機会がなかった。

だから、フィリスの怒りは理解できても、同じものを抱くことはできない。

その差が、二人の間に横たわっている。


二杯目を飲み終えた頃、祭りの喧騒が最高潮に達していた。

酒場の外から楽の音と歓声が聞こえてくる。フィリスが立ち上がった。

「出よう。最後の花火が上がるらしい」

酒場を出ると、大通りは人で溢れていた。二人は人混みをかき分けて、城壁沿いの高台まで歩いた。街を見下ろせる場所。王都の灯りが眼下に広がっている。

「いい場所だな」

フィリスが欄干に寄りかかった。夜風が外套の裾を揺らす。

遠くで、光が上がった。魔術で打ち上げられた光花。赤、青、金。夜空に花が咲いては散る。群衆の歓声が、遠い波のように聞こえてくる。

「きれいだな」

ルーカスが呟いた。

「ああ」

フィリスは花火を見ていなかった。街を見ていた。灯りの海。石畳の上に広がる、人の暮らしの集積。

「ルーカス」

「ん?」

「お前がまだ何に使うか決められないっていうの、俺は別に悪いことだと思ってない」

唐突だった。ルーカスは花火から目を離して、フィリスを見た。

「決まってるやつは楽だよ。迷わないから。でも、迷えるってのは、まだ選べるってことだ。選択肢を残してるってことだ。それは強さだと思う」

フィリスの横顔は、街の灯りに照らされて、いつもより少し柔らかく見えた。

「……フィリスがそういうこと言うの、意外だ」

「俺だって、たまには殊勝なことを言う」

「たまにね」

フィリスが笑った。ルーカスも笑った。

花火が一際大きく弾けて、夜空を白く染めた。歓声が高台まで届く。

二人はしばらく、黙って街を見下ろしていた。


帰り道。

高台を下り、人気のない裏通りを歩く。祭りの喧騒が遠ざかり、足音だけが石畳に響く。

「なあ」

フィリスが言った。

「さっきの話、忘れてくれていい。酔った勢いで格好つけすぎた」

「忘れない」

即答した。自分でも驚くほど、自然に出た言葉だった。

フィリスが足を止めて振り返る。

「忘れないよ。フィリスが何を考えてるか、今日初めてちゃんと聞けた気がする。忘れるわけない」

フィリスは一瞬、目を見開いた。それから、少し照れたように視線を逸らした。

「……お前、普段は地味なくせに、たまにそういうこと言うよな」

「地味は余計だ」

「事実だろ」

軽口を叩き合いながら、寮への道を歩く。

月が出ていた。祭りの灯りが消え始めた通りに、白い月光が落ちている。

ルーカスは懐の中の壊れた術式盤に触れた。使い道のわからない、壊れた道具。自分に似ている、と思った。

でも、今日フィリスの話を聞いて、ほんの少しだけ、何かが動いた気がする。

火は、まだない。

でも、あの火を近くで見ていたいとは思った。

それが何を意味するのか、ルーカスにはまだわからなかった。